ジャニヲタになるまで
普段は日記も文章もなかなか書かない私ですが、このはてなブログで様々なジャニヲタさんのブログを読まさせていただきました。
その中で、私も書いてみたい!…文才ないけど!!と思い立ち、早速登録をしてみた次第です。
有名なジャニヲタブロガーさんとは天と地の差ですが、自分用の記録や振り返りに使えたらと思っています。
さて、初記事は題名通り私がジャニヲタになるまでをつらつらと書いていこうかと思います。が、なにせド新規なので(ジャニヲタもブログも)、興味ないわー。新規が何言っちゃってんの?と思われることもあるかと思いますが、何卒御手柔らかに…。
私の年齢は、ただいま放送中の「ゆとりですがなにか」でいう、ゆとり第一世代です。
私が初めてジャニーズというものを認識したのは、小学生の頃だったと思います。愛ラブJrも、うっすらと「見てたなぁ。」程度の記憶はあります。
①KinKi剛担?
金田一少年の事件簿のドラマが流行り、KinKiだったら絶対剛派!!と何度友達と話したことか。露店で、初期のプリクラの形をした剛くんのシールを買い(今で言う非公式)、使うのが勿体なくて、結局数枚しか貼らなかった。あのシールはどこへ消えたのか。
そういえば、初期のプリクラって顔と肩ぐらいまでしか写りませんでしたよね?全身が写るプリクラが出た時(確かストリートスナップ?とかいう機種。アラサーですみません。)、革命だ!って思って狂ったようにプリクラばっか撮ってたな。
KinKiのコンサートが見たくて、確かローソンで販売されたKinKiコンのビデオ*1を誕生日プレゼントで母に買ってもらいました。
しかし、硝子の少年の発売前であまり曲も知らず、残念ながらビデオテープが擦り切れるほど見ていたわけではありませんでした。まさか大人になってKinKiコンを見に行き、硝子の少年のイントロで発狂するなんて想像もしてなかったあの頃。懐かしい。
夏休みには、おばあちゃんの家に泊まりに行き、近くに住む従姉妹と本屋でドル誌を買い、Jrの記事をスクラップしてたりしました。確か山Pとか錦戸君あたり…。
この人!!って人は居なくて、好みの子をスクラップしてたな。部屋にピンナ貼ったりして、賞状の額縁の横で山Pが微笑んでました。
従姉妹と初めて原宿に行き、ジャニショを初体験したのもこの頃。この時は、公式写真だけでなくうちわや下敷きなども販売していました。並んで入り、散々悩んだ結果、なぜかヒナの下敷きを購入。なんでヒナチョイスだったのかは今も謎。B5のノートサイズよりも大きくて、使いにくかった記憶…。
あと、なぜかTVKids*2を毎号買ってた。ビデオのラベルシールとか付いてて重宝してました。
今思えば、この頃からDDっぷりを発揮してたなと…。
②1999年 嵐デビュー
1999年9月15日、ハワイの海でクルーズ客船に乗り、華々しく嵐がデビューしました。
あの頃は、Jr.の冠番組も多く、8時だJなどを見ていたため、大野智を除いてメンバーの顔は知っていました。当時のジャニヲタでない人からすれば、大野智って??と同じ心境の人が多かった、のではないでしょうか? 智くんごめん。
当時、嵐のファンでなかった私もあのデビュー会見は鮮明に覚えています。モアナサーフライダーで、特ダネ!の小倉さんとやりとりをした中継。相葉くんの覇気のない「世界中に嵐を巻き起こします!」も覚えています。
2000年3月に小学校を卒業するのですが、当時スポーツ少年団のミニバスに入っていた私は、このミニバスの卒団式で卒団する6年生のメンバーから出し物をすることになります。メンバーと話し合って、当時流行っていた音楽のメドレーダンスをしようということになり、このメドレーの中に、A•RA•SHIも入っていました。
あのスケスケ衣装も再現するため、透明のゴミ袋でベストとパンツを作りました。
ミニバスの練習前に友達の家に集まり、Mステなどの音楽番組を録画したビデオを再生しては巻き戻し、なんとかダンスを習得しました。
いやいや、バスケの練習しろよ!って感じなんですけど。楽しくて楽しくて相当気合入れてダンスの練習をしてましたね。
本番もゴミ袋をシャカシャカいわせながら、踊ってました。楽しかったな。
おかげで、今でもA•RA•SHIは完璧に踊れます。
③ゆずっこ
ジャニーズも茶の間程度には見ていましたが、中学生頃より平成のフォークデュオゆずにのめり込んでいきます。
元々は、兄がレンタルCDショップでゆずのデビューシングル「夏色」を借りてきて聴いていたので、漠然といい曲だな〜とは思っていました。そこから、「いつか」「サヨナラバス」などの名曲を経て、「飛べない鳥」でどっぷりゆずっこの道へ。ご存知の通り、「飛べない鳥」は二宮くん出演ドラマ「涙をふいて」の主題歌でした。
ゆずの楽曲が主題歌ということもありますが、ドラマ自体も大好きで毎週見ていました。
私はここで、当時の自分に声を大にして言いたい。
おい。なんで!ここで二宮くんの天性の魅力に気づかなかったんだよ!!!!!
毎週見てたくせに。毎週泣いてたくせに。…神木隆之介くん天使だったな。
せっかくゆずが二宮くんの素晴らしさを教えてくれるチャンスをくれたのに。
健太兄ちゃんを演じてた二宮くん。思春期のふてくされた感じとか、なかなか心を開かない感じとか。高めの声で怒鳴ってた感じとか。最高にエモい。
今でもこの頃の自分を呪ってます。
あまり関係ないですが、後に、弟役の康太を演じていたのが現在ふぉ〜ゆ〜の辰巳くんであったことを知った時は衝撃を受けました。
まぁ、ここから高校生あたりまではゆず一直線。FC「ゆずの輪」に入会し、CDも買い、ライブにも出かけるようになります。
ゆずは横浜出身なので、横浜アリーナでライブをすることも多く、よく通っていました。地方遠征や多ステもしてました。
ちなみに私は北川悠仁が好きでした。この時は悠仁ほどカッコイイ人はこの世にいないと思い込み、常日頃「悠仁〜!ゆうじん〜!!」と脳内お花畑状態。将来生まれてくる子供には悠仁と名付けようとまで考えていました。まぁ、今もそんな予定ありませんがね!!!
だいぶ痛い感じでしたね。
④チルオタかじり
高校を卒業し、2年間専門学校に通うことになるのですが、ここらへんから徐々にゆず離れをしていきます。
そして、当時付き合っていた人の影響もあり、ミスチルに興味を持ち始めます。ベストアルバムで昔の曲を聴き漁り、アルバム「I LOVE YOU」はヘビロテしてました。
やっぱり聴いているとライブに行きたくなるもので。しかし、ミスチルもチケットが取りにくいのなんの!
何回かライブには足を運びましたが、チルオタの友達に連れて行ってもらった、apbank fesはなかなかの過酷旅行だったな。
夜行列車で行って、シャトルバス乗って。会場についたら、フェスなので前の方を陣取るため猛暑の中並んで。終わっても宿取ってないから居酒屋でオールして帰るってゆう。
思い出しただけでもゾッとしたわ。今じゃこんな遠征スケジュール考えられない。若いって素晴らしい。
そんな感じでミスチルも好きでしたが、ヲタクをするほど追っかけていたわけではなく。アルバムが出たら買い、BGM的に聴いていたくらいでした。
このあとは特別好きなアーティストがいるわけでもなく、流行りのJ−POPを聴いて学生時代を経て、今の職に就きました。
そして、ある時突然に嵐に巻き込まれます。
ここから、二宮くんとの出会いからの!ジャニヲタ人生がめでたく開幕するわけです。
なんか「二宮くんとの出会い」とか書くと、どっかの夢小説みたいだな。
なんだか長くなりそうなので、続きは次の記事で。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*1:KinKi Kids′97 LAWSON PRESENTS 1997年6月12日発売。ローソンにて期間限定発売された。
*2:集英社が発行していたテレビ誌。ジャニーズなどのアイドルに特化していた。1996年創刊。2001年4月号を以って休刊。